はじめまして、池末竜(いけすえりょう)です。
このページでは
・なぜ、ウェブデザインをやっているのか?
・現在の収入は?何をしている人なの?仕事内容
といった現在の活動から、
・英語の先生を目指すも、雇われる人生に疑問を抱き始める高校時代
・福岡の大学に入って、就活から逃げる為にワーホリで休学した1年
・インターネットビジネスと出会い、卒業間近で中退した話
・Webデザインをキッカケに人生が好転し、初案件を獲得した時の話
・アフィリエイトで150万ほど稼ぎ、調子に乗って転落した24歳頃
といった過去にあった苦労話や体験などを書いていこうと思います。
今まで過去の事など意外と書いてこなかったのですが、このブログでは良い部分だけじゃなくて「失敗談」とかも全て発信していきます。
Webデザインを軸に情報発信をしてます
現在、僕は福岡の柳川という田舎に事務所を借りて、普段は在宅で仕事しています。
ちなみに、新築で2LDKのところで一人で仕事してるんですが、田舎だから激安ですよ。
(地方へ移住するのは固定費を下げられるのでオススメ)
現役のウェブデザイナー兼ディレクターとして、
制作案件を担当したり、企業へマーケティングアドバイスをしたりしています。
また、ランディングページやホームページなどの制作スキルを、
今からウェブデザイナーとして活動したい人に教えてたりもしていますね。
たとえば、LPなら色んな業界・業種の依頼を担当したり↓
人生振り返ると、色々と失敗も多くて
自分自身に絶望していた時期もありました。
しかし、ネットビジネスをキッカケにWebデザインと出会い、
大きく人生が変わっていきました。
「ネットがなかったら今頃なにしてたんだろう?」
と思うくらいインターネットに救われてます。
僕が伝えたいのは
「Webデザインを通して、人生を豊かにする方法」
で、稼いだからといって贅沢して高級料理を食べたり、
高級品を買ってSNSで見せびらかすのような人生は推奨してません。
→そういう人生を望んでるなら、他のビジネスをやったほうがいいと思ってるので。
そうではなくて、
・仕事を通して、人間的に成長する
・稼ぐ力を身につけ、人生をコントロールする
・世の中に貢献し、価値ある人間になる
といった事をウェブデザイナーという仕事を通して、
培っていって欲しい。
ウェブデザイナーというお仕事は割と忙しいです。
案件には納期があり、納期に間に合わなければ、土日も返上することだってしょっちゅう。
ただ、
・会社員で給料が少ない…
・アルバイトだけの収入じゃ足りない…
・主婦業で在宅にいる時間を有効に使いたい…
こういった悩みがある人にはWebデザインはオススメしてます。
副業の中でもビジュアルを扱う仕事なので、楽しくやれるし飽きないので続けやすいです。
(その証拠に主婦や女性の方に人気の副業ですよね)
さて、僕の現在の制作単価は
LP1本で20万以上、サイト制作での最高受注額は1件80万。
LP1本だけでサラリーマンの1ヶ月の給料くらいは稼ぎます。
夢がありますよね。
1ヶ月に7〜8本受注して受注額が100万超えることも普通です↓
https://twitter.com/r_ik_0203/status/1702598548674724248
時給750円のカラオケのバイトで働いてた頃からしたら、
考えられない世界。
りょうの現在の仕事内容は?収入は?
収入の内訳はというと
・Webデザイン→6割
・コンテンツ販売→3割
・実業→1割
というような感じ。2022年は
①制作事業を拡大して法人化、デザイン事務所化したい
②自分の講座やコミュニティをもっと盛り上げたい
③他の事業
が目標で、1〜2年で到達したいと思ってます。
また、個人的な想いとしては
「自分自身や周りのレベルアップ、業界の底上げに貢献したい」
「フリーランスをもっと増やして自由な人間を増やしたい」
などがあります。まだまだ日本ってフリーランス少ないと思うんですね。
フリーランスになるって、もちろん大変なこともあるけど、意外と難しくないというか。人生の選択肢の一つとしてもっと考えられるようになってもいいのでは?と。
月収100万も夢じゃない?未経験でも続々と結果を出すワケ
最近はデザイン講座もやっていて、ここのサポートなどに力を入れています。
フリーランスを目指す講座で、受講生の実績としては
●子育て中の主婦の方:未経験から開始1ヶ月でLP7本受注達成
●10代の若い方:個別での相談後、LP6本の受注に成功
●ココナラで活動中だった男性:数千〜円の低価格から単価アップと直依頼に成功
●デザイン歴のある女性:LP未経験から、インフルエンサーさんへの提案に成功
など次々と結果を出されています。
なぜこんなに短期間で結果が出てるのか?というと、
それは
1人1人の状況に合わせて最短の方法を提案しているから。
例えば、コミュニティではデザインスキルだけじゃなく
「単価アップのタイミングは?どれくらいの金額に?」
「実績0からの場合はまず何をすればいいか?」
「どうやって案件を獲得すればいいか?」
「継続的に依頼を頂くためのポイントは?」
といったかなり実践的な事を中心にお伝えしています。
だから、「今までいろんなデザインスクールに入ってたけど、稼げなくて…」という人でも
「稼ぐ力」をここでつけられて、一気にフリーランスの仲間り・第一歩を歩まれてるんですよね。
LINE公式でも書いてますが、フリーランスとして稼ぐ上で
・デザイン力
・営業・提案力
・制作環境
の3つの要素が重要です。
この3つの相乗効果が生まれば、1ヶ月に10件くらいの依頼を回せるようになり、
制作のみで月収100万代を稼ぐことも十分可能です。
資料はこちら見れます↓
10件も月にこなすのは相当忙しいので目指すかどうかは人それぞれですが、
少なくとも月に5件〜くらいは受注して
月収で50万
くらいは達成して欲しいですね。
月収50万って今までバイトや会社の給料だけが常識だった人からすると凄い額に見えますが、
これはフリーランスや起業家の世界からしたら、別に凄いわけではなくて普通です。
知人のプロのLPデザイナーさんは、1回の依頼で180万の見積もりをとったりされてますからね。
こんな風に、フリーランスになると、
・好きなときに旅行に行ったり、美味しいご飯をいつでも食べられる
・平日の昼間から温泉に行って、貸し切り状態を満喫
・経営者の先輩に誘われて、1週間ニュージーランドの豪邸に泊まる
・コロナで職を失うどころか、在宅で仕事が完結し右肩上がりで収入が増え続ける
みたいな自由で理想のライフスタイルを歩めるようになります。
しかもパソコン1台でそれができるわけですからね。今すぐやらないのがもったいないくらい。
ただ、そんな僕ですが昔は色々と悩んだりしてた時期も当然ありました。
人生が変わる前:10代〜20代の頃の話
昔のりょうを知らない人からすると、イメージがないから驚かれることも多いですが、
高校生の頃(10代後半)〜大学の2年くらいまではネガティブ思考で、悪い癖いや考え方が中々抜けなくて何をやってもうまくいかない時期もありました。
その最初のキッカケになったのが高校生まで遡ります。
雇われる人生に疑問を抱き始めた高校時代
中学2年の頃に、ふと何を思ったのか先生という職業に興味を持ち始めました。
それまでは勉強というものをしてこなかった人間でサッカーとかテニスとか、スポーツに打ち込んだり友達と遊んだりしているような普通の10代。
そんなある日、
「勉強とか全然興味ないけど、たまには授業を真面目に聞いてみるか?」と思い上の空だった先生の話を聞いてみることに。
その授業が「英語」だったんですね。
僕が大学で英語を専攻して、のちにワーホリに行くのも全てここから始まったような気がします。
授業を聞いてるうちに、「あれ?英語って結構面白くないか?」と思って、徐々に授業に自発的に参加し始めます。
そして、いつの間にか“英語が楽しい”→“英語の先生に興味ある”に変わっていき、中学当時の将来の夢が英語の先生になりました。
もちろん、公務員を目指すことになるので、安定した仕事という人生を進むことになります。多くの親は子どもにそれを求めてたりもしますよね。
また、うちの母の家系はそれこそ、英語の教師や公務員という安定志向の家系なので当時はめちゃくちゃ応援されました。
ということで、英語の先生になるなら=地元の進学校にいく、ということになり勉強開始。
中2の夏から、今まで遊んでた人間が急に昼休みもずっと勉強するようになったもんだから
周りは「あいつ、急にどうした?」みたいになってたと思います(笑)
晴れて高校受験も合格し、周りは
「この子は先生になるんだよね」
と思ってたことでしょう。しかし、ある疑問が僕の中で蠢き始めます。
親の離婚、そして大学受験の失敗
そのある疑問というのが
「本当に、自分は英語の先生になりたいのだろうか?」
というもの。
当時は硬式テニス部で、遠征などで電車に乗ってたんですが、ある日の電車でクタクタに疲れきったサラリーマンを見てふとこんな恐怖が頭によぎったんですね。
「自分も将来こうなるんだろうか・・・・」
たぶん、雇われる人生というのに疑問を抱いたのもこの辺りからだったと思います。
当然、英語の先生も公務員なので国の雇われですし、たぶん一回先生になったらその先の人生もずっと先生で終わるんだろうというのは容易に想像できました。
それを考えた途端、もう僕の心は先生になるという選択肢は消え始めてました。
だから、高校の途中から原動力だったはずの目標が無くなった事で、勉強のモチベーションも下がってきたんですね。
そして、成績が下がるにつれて周りからも「大丈夫か?」と言われ始め、
成績が落ちたことをバカする友達がいたりもしました。
さらに、不幸は立て続けに起こるもので次に自分を襲ってきたのが
親の離婚。
高校三年で母親のほうがいきなり「もう無理、離婚する」と言い始めたんですね。
実はこれより前に「離婚するかも」という話は聞いてたし、その心の準備はなくはなかったんですが、
まさか大学受験前に重なるとは夢にも思ってませんでした。
「頼むから、受験前だけはやめてほしい」という願いも虚しく、母が出ていくと言い始め子供は全員母について生きました。まあ、父の気持ちを思うと悲しかったでしょうね。今までいた家に誰もいなくなるんですから。
この辺の具体的な話は記事最後に載せてる音声でもしてるのでそっちも聴いてほしいんですが、
この当時大変だった経験が今では
「よかったな。良い経験だたったな」
と今では思えます。
なぜなら、この経験を糧にして早いうちから
・孤独に耐える強さ
・一人で黙々と努力する
・絶対に見返すという反骨精神
などが自然と自分の中で身についていったから。特に、この時の経験がのちの強い反骨精神になっている部分があります。
「見てろよ。絶対いつかお前らが追いつけないような人間になってやる」
と、そう思ってビジネスの勉強をしてた時期もありますね。だから、進撃の巨人のエレンの気持ちって僕にはよくわかるんですw
引用:漫画「進撃の巨人」
→ただ、これは闇のエネルギーなので、どこかで自分と向き合って精算していく必要もあるんですよね。
人間の本質は光だ
という一コマが漫画キングダムであるのですが、人は光がないと行動していけません。
引用:漫画「キングダム」
自分が進んでる先に光=希望が見えるから行動できるわけで、見てる先が闇だと
・曲がった正義感
・間違った言動
・歪んだ思想
にとらわれ始めて、人生が間違った方向に進み始めます。
実際に、そうやって身を滅ぼす人も少なからず見てきました。
闇のエネルギーって時に強烈なモチベーションにはなるんですけど、どこかでちゃんと自分と向き合って精算し、
ある程度自分の中で昇華してコントロールできないと、大人になっても引きずってる人もいます。これを
インナーチャイルド
(大人になっても変わらないまま続いている、子ども時代の思考パターンや習慣を指す言葉)
とかって言います。
・「あいつを負かしてやる」のような勝ち負けの世界で生きてしまったり、
・「絶対に認めさせてやる」という他人を無理やり自分都合でねじ伏せたり
というのは、自分が辛くなってくるだけだし、悪循環の原因です。
自分の内面と向き合わないまま大人になっていっちゃうと、自分の本当の気持ちに耳を傾けないまま
「どこかで妥協してたまま」「なんとなく人生をやり過ごし」「心から納得のいく人生になれない」という現状に甘んじて一生を終えてる人はかなり多いと思います。
で、結果としては大学受験は失敗しました。全滅。
なので、一浪して地元の大学に行くことになるのですが、ちょっと長くなってきたので後半の
・”就活から逃げるように”ワーホリでカナダへ
・インターネットビジネスと出会い衝撃を受け、”卒業間近で中退”
・Webデザインをキッカケに人生が好転した話”
などは別の記事でまた書こうと思います。
では、ここまでお読み頂きありがとうございました!